東京都合唱連盟の75年:誕生とあゆみ

東京都合唱連盟の75年を全4回にわたってご紹介します。今回は第1回です。

東京都合唱連盟の前身である関東合唱連盟は1946年2月11日に発足しました。前年8月に14年間に及ぶ戦争が敗戦という形で終結してからわずか6カ月後、街には空襲による焼け跡が拡がり、アジア各地からの引揚が続き、社会の混乱が続く中でのスタートでした。戦前から戦中にかけて活動した国民音楽協会が基礎になっていたとしても、現在と比べてコミュニケーション手段が限られるなかでの合唱界の組織化がいかに大変だったか想像できます。

朝日新聞社にはこの時期から事業の共催、事務所の提供など合唱連盟への大きな支援をいただいています。

関東合唱連盟はこの年の7月に第1回関東合唱祭を、11月には第1回関東合唱コンクールを開催して活動を開始しました。コンクールの部門別第1位は「男女中等学校之部」が都立桜町高等女学校、「大学高専之部」が早稲田大学グリークラブ、「一般之部」が東京リーダーターフェルフェラインでした。現在の東京都合唱祭、東京都合唱コンクールはここをスタートとしています。「関東」と名乗っていますが実質は東京の指導者、合唱団中心の組織でした。

1948年11月にそれまでに結成された、関東、関西、西部(九州)、東海(中部)の4連盟を代表する合唱団によるコンクール全国大会が開催されると共に全日本合唱連盟の設立総会が開かれました。

その後も、ブロック合唱連盟の結成、県別の連盟の発足とブロック連盟への加入が全国に拡がって行きました。

このような動きの中で関東合唱連盟の傘下に東京都合唱連盟が設立されたのは1958年でした。第13回コンクールは関東合唱コンクールへの代表を選ぶ都大会となりました。

そして、1961年には東京都合唱連盟は関東合唱連盟から分離してブロック連盟となりました。東京中心となっていた合唱の普及・発展を関東全域に拡大することを意図したものであったと思われます。

1970年に全日本合唱連盟は法人化し、ブロック合唱連盟は「社団法人全日本合唱連盟」の支部に改編されました。東京都合唱連盟は「東京支部」としての役割と都府県地域合唱連盟(県連)としての役割を合わせ持つことになりました。その後は組織的な大きな変更はなく現在に至っています。

【歴代理事長】
旧関東合唱連盟

1946年     木下 保  声楽家、慶応義塾ワグネルソサエティー男声合唱団、日本女子大学合唱団などを指揮(1982年没)
1947~1952年  外山国彦  声楽家、音楽教育家、(1960年没)
1953~1954年  矢田部勁吉 声楽家、音楽教育家、国立音楽大学創設者の1人(1980年没)
1955年     岡本敏明  作曲家 (1977年没)
1956~1961年  津川主一  教会音楽家 外国曲の訳詞が多い(1971年没)

東京都合唱連盟

1958年、1962~1966年 清水 脩 作曲家「月光とピエロ」など、カワイ出版社長(1986年没)
1959~1960年 東京都民合唱団(代表・沖不可士) 
1961年     沖 不可士 チェロ奏者 指揮者 (1976年没)
1967~1969年 石井 歓 作曲家 「枯木と太陽の歌」など(2009年没)
1970~1973年 磯部 俶 早稲田大学グリークラブなどを指揮、作品「遥かな友に」など(1998年没)
1974~1979年 湯山 昭 
1980~1983年 外山浩爾 
1984~1997年 辻 正行 大久保混声合唱団などを指揮(2003年没)
1998~2003年 岸 信介
2004~2009年 片野秀俊
2010~2015年 金川明裕
2016年~    清水敬一

執筆:松原混声合唱団 野村維男